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【夏目漱石と早稲田】



気温の変化が著しいこの頃ですが、みなさんどのようにお過ごしでしょうか。こんにちはワセダタウンマガジンです。

今回のテーマは「夏目漱石と早稲田」です。夏目漱石といえば日本を代表する作家であり、「小説を書きたいなら漱石の文を参考にしろ」といわれるほど、緻密で美しい文章によって紡がれた数々の有名作品を残しています。また、中学、高校の教科書にも彼の作品が載っているので、なじみ深いのではないでしょうか。



そんな夏目漱石も実は早稲田の地域とつながりがあるのです。夏目漱石が生まれた場所は現在の新宿区喜久井町にあたる、牛込馬場下横町です。喜久井町を名付けたのは漱石の父親です。東西線の早稲田駅から喜久井町キャンパスに向かう通りは夏目坂と呼ばれていますが、これも夏目家にゆかりのある地名だということです。




(画像2・3枚目:運営局メンバー撮影)


また、明治40年に早稲田南町に居住地を移した夏目漱石は、その地で生涯を閉じました。漱石が住んでいた場所は当時「漱石山房」と呼ばれていました。現在その地には「漱石山房記念館」が建てられ、彼の生涯や新宿とのかかわり、人間関係などについての展示が設けられています。この記念館では漱石山房の一部が再現されているブースもあるそうですよ。このように早稲田の町と夏目漱石の生涯とは密接な関係があるのです。


漱石の作品の中にも神楽坂など早稲田近辺に関する記述が出ています。例えば、夏目漱石前期三部作の一つ「それから」の主人公は神楽坂に居住しているという設定が加えられています。作品の中になじみ深い地名が出てくるとイメージが広がり、趣がありますよね。


今回は夏目漱石と早稲田の町とのつながりについて紹介しました。筆者自身、漱石と早稲田の地にこのように深いつながりがあるとは知りませんでした。これは早稲田の町の歴史の深さによるものなのではないかとも考えます。ぜひ、夏目漱石の作品を読んでみたり、漱石山房記念館を訪れてみたりしながら、早稲田とのつながりを感じてみてください。


参考文献


筆者 シュークリームおいしくないわけじゃない

早稲田大学政治経済学部2年

早稲田大学公認サークル

まっちワークグループ早稲田


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